火花と硝煙の恋歌 ―なぜ「JANE DOE」は、レゼという少女の「鎮魂歌」となり得たのか

sonslike
This article is written in collaboration with AI.

2025年、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のエンドロールで流れた「JANE DOE」。この楽曲が我々の胸を締め付けたのは、それが現代社会へのメッセージだからではない。あまりにも残酷で、あまりにも純粋な「レゼとデンジの、叶わなかった未来」そのものだったから。

米津玄師と宇多田ヒカルは、この楽曲において「世界の分析」などしていないでしょう。彼らが行なったのは、血と火薬の匂いが染み付いた原作の物語への、徹底的な「没入」でした。

「田舎のネズミ」になれなかった二人への返歌

作中の重要なモチーフである「田舎のネズミと都会のネズミ」

平和だが退屈なせいか、危険だが美味しい食事ができるせいか。

楽曲「JANE DOE」のサウンドスケープは、レゼがデンジに提案した「逃避行」の景色——二人で学校に通い、海へ行く——そんな「あり得たかもしれないパラレルワールド」の美しさを描いています。

米津玄師の楽曲構成は、常に現実(戦闘と破壊)を想起させるノイズを含みながらも、サビのメロディにおいては宇多田ヒカルの声と共に、浮遊感のある「夏の夜のプール」のような静寂へと突入します。 これは、戦闘兵器として育てられたレゼが、デンジとの時間の中だけで感じた「つかの間の安らぎ」を音像化したものと言えるでしょう。この対比構造こそが、観客の涙腺を決壊させるトリガーとなっています。

「Jane Doe」= 兵器としての匿名性

ここでいう「Jane Doe(名無しの権兵衛)」とは、デジタル社会の匿名性ではない。「スパイとして生き、兵器として死ぬ」レゼの宿命そのもの。

彼女には戸籍も、守られるべき人権も、公式な記録もないかもしれない。死ねばただの肉塊(Jane Doe)として処理される存在。しかし、歌詞の中で描かれるのは、《君だけが私の名前を呼んでくれた》という、デンジとの個人的な関係性の肯定です。

米津玄師は、世界中から見れば「ただの敵(ボム)」でしかない彼女を、デンジの視点、つまり「初めて恋を教えてくれた女の子」として描き切りました。タイトルが『JANE DOE』であるという皮肉こそが、逆説的に「二人だけの秘密の時間の尊さ」を強調しています。

MVが可視化した「背中合わせの断絶」と「不可逆な時間」

MVの評価を決定づけたのは、映像作家・山田智和氏が手掛けたMusic Videoにおける、残酷なまでの空間設計。とくに後半、巨大な「時計仕掛けの椅子」に座る二人の描写は、デンジとレゼの関係性をこれ以上ないほど的確に暗喩しています。

「背中合わせ」という最も遠い距離

MVの中で、米津玄師と宇多田ヒカルは常に背中合わせで座っています。物理的な距離はゼロに近い。互いの体温を感じられる位置にいるにもかかわらず、二人の視線は決して交わりません。

これについて、リリース時の『ROCKIN’ON JAPAN』のインタビューで米津玄師はこう語っています。

米津:「近づけば近づくほど、見えなくなるものがあるというか。背中合わせっていうのは、一番信頼している形にも見えるけど、お互いの顔が絶対に見えない一番不安な体勢でもあって。レゼとデンジの、あのギリギリの『共犯関係』と『決定的な断絶』を表すには、この距離しかないと思いました」

この言葉通り、映像では二人が手を伸ばせば届く距離にいながら、互いに異なる方向(異なる未来)を見つめ続けている様が描かれています。

時計仕掛けのギミックが示す「運命の強制力」

座っている椅子が、巨大な時計の歯車(クロックワーク)と連動して回転し、二人の位置を強制的にずらしていく演出も圧巻でした。

二人が振り向こうとした瞬間、椅子の機構がガクリと動き、強制的に反対方向へと身体を向けさせられる。この「すれ違い」の演出は、レゼがカフェに戻ろうとした瞬間にマキマによって阻まれた、あの「抗えない運命の強制力」を視覚化しています。

宇多田ヒカルも、Billboard JAPANの特集インタビューでこのセットについて言及しています。

宇多田:「あの椅子、座ってると自分の意志とは関係なく勝手に回されるの。その『どうしようもなさ』が歌とリンクしてて。私が演じているのは、そこに留まりたくても時間の流れに引き剥がされていく人の役なんだなって、セットに座って初めて理解した気がする」

なお、米津玄師が宇多田ヒカルに共同制作を依頼した背景や米津玄師自身の音楽ルールを振り返る対談を公式YouTubeで見ることができます。

まとめ:火花のように消えた「初恋」の保存

この楽曲の時代的価値は、アニメーション作品の劇伴(サントラ)が、キャラクターの感情を補完する「聖典」の域に達したことにあるでしょう。

「JANE DOE」は、レゼ編という物語を終わらせるための曲ではない。物語が終わった後も、デンジの中に、そして我々観客の中に残り続ける「残り香(火薬と花の香り)」を永遠に保存するための装置なのです。

米津玄師はかつて「KICK BACK」でデンジの衝動を描きましたが、今回の「JANE DOE」では、デンジが初めて知った「喪失」を音楽にしました。それにより、『チェンソーマン』という作品は単なるアクション活劇から、真の「青春の墓標」へと昇華されたと言えるのではないでしょうか。

そして、25年紅白歌合戦の特別出演を果たした米津玄師のチェンソーマンOP『IRIS OUT』のパフォーマンスは個人的に2025年最高のものだと大きな賞賛を贈りたいです。

NHKの特別公開YouTube動画のせいなのか、URLでリンク埋め込みができない…以下のURLからご覧ください

https://youtu.be/_PVaE-tu1-0?si=mBUbMZejQG0dt-bT